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法澤山 日限地蔵尊 大雲寺について

大雲寺は浄土宗の寺院で山号は法澤山、元々は竜昌山大連寺と称していました。
天正(一五七三〜九二)年間に全国行脚をしていた僧侶の安楽策伝が一夜の宿をとったのを機に寺を再興し、
現在の大雲寺と改めたといわれています。当時宇喜多直家から寺領三〇〇石を寄進されましたが、
その後の岡山城主となった小早川秀秋に没収され、現在の地に移りました。
没収には諸説がありますが、秀秋が掘った外堀の外側へ移転していることから、
城下町づくり、すなわち今でいう都市計画の一環であったという説が有力です。
この後、寺を中心に街並は整備され、この地域はしだいに大雲寺町と呼ばれるようになりました。
江戸、明治、大正と時代を経る中で、他の多くの日本建築同様たびたび火災に見舞われましたが、
最も被害が大きいものは先の大戦での空襲で、建物を全焼してしまいます。
しかし、その空襲の中にあって、地蔵堂の本尊だけは、灰燼にたたずんでいたと伝えられています。
戦後は本堂とともに地蔵堂も再建されましたが、
一九七〇年の町名変更で大雲寺町という地名は消失してしまいます。
しかし大雲寺交差点の名称でその名を街にとどめ、地域のランドマークのひとつとして、
皆様に今なお愛され続けております。
当寺のシンボルは地蔵信仰で、多くの方に「日限のお地蔵さん」として知られています。


法澤山 大雲寺 住職 西崎 義教


こちら(Wikipedia)もご覧ください。


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